アコーディオン弾き 岩城里江子のブログです。
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お向いのだんなさんアゲイン
さて、お向いの若いだんなさんが朝出て行きがてら
「●●ちゃ−ん、はい、おひざに抱っこブーブーしよう」
「あれ、●●ちゃんやんないの、まいっか、じゃいってきまーす」
「アテっ、(何かを蹴飛ばす音)」
(くすくす笑いながら奥さん)「いいよーやっとくから。
でも○○君って案外足元見てないタイプだよねー」
(ドアを閉めながら少々間があってから捨て台詞)
「足元なんか見てられっかよ〜」

ややブルーにまったりした朝
ちょっと笑って元気になった。
やっぱいいキャラだ。あの人。
posted by イワキリエコ | 10:27 | くらしのこと | comments(3) | - |
大会観戦
長女が通う中学部活の新体操県大会。
彼女の中学からは
二つの団体チームと2人の個人が参加。
娘もフープとボールの手具で個人演技。

部活の先生は絵に描いたような厳しい先生で
よーく見ていて、すべてを見抜き、
親が言いたいことをばしーーーーーっと言ってくださる。
親の言うことはさっぱりでも
先生や先輩の言うことは絶対。
いやあ、ほんとにありがたい。
娘もビシバシ鍛えられ、ずいぶんと身体の線が太くなった。
集中して踊っている姿に、
習いたいと騒いだ小2の姿や
大会で泣いていた姿や、まあ、いろんなことが重なり、
ずっと続けていてくれてよかったなあと思いました。

新体操、というのは個人なら90秒
チームだったら2分ほどの間に
相当な数の難度(ワザ)、柔軟性、表現力、団体ならチームワークと
これでもかこれでもかと美しく詰め込んで
集中力が必要とされる競技。
しかもボールだったりクラブ(こん棒)だったり
扱いにくく当たると痛い手具を身体の一部分のように扱い、
見てるほうからすれば、
何故あそこでああ止まってるんだろうとか
今、あのポーズはどうなってるんだろうとか
なんで開脚ジャンプのときに180度以上にしなってんだろうとか、
なんで今あの子のクラブをあの子が受け取れたんだろうとか
謎だらけです。

スパンコールのたくさんついた衣裳
手足の長い子どもたち
フロアはとてもきらきらしてますが、
客席から降りてフロアの高さで
出番待ちの稽古をしている子供たちを見ると
じわりときます。

どの子も一生懸命で
わき見もふらないで
なんども繰り返し繰り返し投げたり飛んだり転がったり
客席や入り口でも柔軟柔軟柔軟
ありえない動きはこういうくりかえしからしか生まれないんだな。

前にcobaさんが
「楽器を練習しているということだけで尊いのだ」
と言っていたけど
なにかひとつのことにうちこむということは
ほんとうにそれだけで尊いことだ。

しかしスポーツ競技の新体操は
点数がついてシビアに順位がついてしまう。

先生が最後に
うまくいかなかったチームに対して
技術もチームワークもとてもあるメンバーなのに
一つ足りなかったものは、自信だ。
その自信を埋めるものは練習時間ではない。
すべてを新体操に集中させきったという実感だ、
と仰っていた。

こんなことばを中学生で受け止められる子どもたちは幸せだ。
posted by イワキリエコ | 09:30 | くらしのこと | comments(2) | - |
フライヤー撮影!
えー実は
まだらくん家にも書いていないんですが
オペラ三人娘のひとり、さやかちゃんとのご縁で
演劇の舞台に乗せていただく事になりました。

劇団朋友さんの9月末の4日間8公演、銀座・みゆき館。
音楽なんとわたしひとり・・・
作曲もするらしい。
うむ〜。いいんだろうかー。
去年からの活動の総決算で、もう一皮ぺろりとめくりたいモンです。
でも、なんかわくわく。
まったく、己の怖いものシラズの好奇心におののきますね。


さて、
先日フライヤーの写真撮影というので
おっかなびっくりプチ初顔合わせにお邪魔してきました。

三鷹台の近くの朋友の稽古場は
旅公演前の荷物がぎっしりで臨場感あふれてます。
時間前に一人ずつ現れた役者さんは、みなさんとってもいい感じ。

さて、撮影はまず個人の写真から。

こんなふうにまずは一人ずつ・・・・

「オレ、どんな人物設定?」
役者さんは顔を変えますねー。
冷やかされたりしながらワイワイ。

役者さんたち

女優さんたち、やっぱり勝負顔持ってます。

女優枠論外のわしはメイクもいい加減
楽器をわあっと弾いてるところを
撮ってもらいました。

楽しみだな〜。

今回のフライヤーにはえつに描いてもらった名刺の絵が
ばしーんと使われるそうです。
それもまた楽しみ。

のちほど公開しまーす。
気合入れて。
posted by イワキリエコ | 16:27 | ステージ報告的な | comments(4) | - |
引き算
イラストレーター加藤龍勇さんの個展へ。

後光が射すかとさん

軸のある美しい身体と表情と
独特の透明感あふれる絵
今回は、きれいにまとめようとしないで、
描く事にはつらつと向かいたいと言ってた加藤さん。

風が通っていくような爽快感とともに
押し付けがましくない生命力を強く感じました。
一番最近に描いた絵は
最後どうにも手に負えなくなったけど
もがいた跡も見てもらおうと思って持ってきたと言っていました。

左目が光に
着物の帯の部分が葉(水?)に
表情が月の陰に
絵からなにかを欠落させたところに特に惹かれますね。

消したり、隠したりした引き算の部分は
見るものが自由に膨らませられる余白のようで
語らないで語ります。
えんぴつの下絵を消した跡はそっと撫でたくなりました。

ぜひ会場で絵のなかに身体をおいてみてほしいです。

●加藤龍勇「はだいろのたましい。」展
ギャラリーMalle(恵比寿)で7/15(日)まで



引き算といえば
先日のアサヒアートスクエア
作曲のヨシさんの電子音響音楽のライブ
『響彩陸離-煌めき映える音響世界』

ホールにスピーカーが客席を囲んでぐるり10台。
ステージには作曲者三人とPC、染色された大きな布、照明
何かが足りないような、不思議な感じです。

トイちゃんたちとライブをしたときに接した以外
あまり馴染みのない電子音響音楽というもの
目を閉じて聞いていました。
音を形のあるものとしてとらえろとは
先日の金粉の主宰の言葉ですが
音は、回ったり遊んだり、降ってきたり丸くなったり
それから直線になったり、混じったり、ささやいたりしていました。

だんだん、音楽に馴染んできた終盤
気がつくとイメージの中に、暗い暗い洞窟が見えて
私はパッ、パッ、と画面が切り変わるように
奥へ奥へと進んでいっていました。
最後の曲は、
白く真夏の光に照り返す空き地の景色。

足りないものがあれば
人はなんとか自分で補い膨らませ創り出そうとする。
そのほうが、鮮明に通じ合えることもあるのかも。
引き算は、恐れず信頼して委ねることかもしれないなあ。



そういえば
いろんなひとと本当にいい時間を過ごせた昨日
(はるちゃん、感謝)
どこかで見かけたことばに
「人から好かれるためには自分のいいところを並べ立てないことだ」
とありました。

そうかもね。
posted by イワキリエコ | 22:54 | くらしのこと | comments(4) | - |
習慣
友人の絵描きカトさんがある日こう言った
「マメな相手だと愛されてるなあと思うだろ?
でもそれは、単なる習慣だったりする」

うへえ?そうなの?

ドラマーのヨシさんは
「こう叩きたいと思ったとき、
躊躇なくその瞬間にやること。
でもそれはね、ただの習慣だよ。習慣」

また、習慣。

遊びの達人本多さんは
「いつでも、どうやったらもっと楽しめるか考えないと。
考える回転数を上げるんだよー」と言うし、

俳句の謙次郎先生は
「俳句だけよくしてもダメだ、日常をよくしないと」
とよく仰っていたと尚子さんが言っていた。

花伝書には、「毎回毎回の舞台で見るべきところのない者に
ある日突然まことの花は咲かない」
みたいな事が書いてあった。

ここのところ
習慣、習慣化ということをよく考える。

たとえば、楽器と遊ぶ時間が増えるほど
指は動かしたいように動くし
指にこうしてという思いもすべらかに動く

「今、ここ」というタイミングを常に意識すれば
ここぞと思うスタート時で迷わない

音楽だけの話でもなく
日常だけの話でもなく

「こうなりたい」に近づくための
毎日のふつうの中の具体的なくりかえし。
どこでも、いくどとなく、簡単なことでも
つみかさねはいずれ目に見えて立ち上り完全にその人になる。
思いはすごい。
どんな思いも、確実にその人に戻ってくる。
習慣にすること次第でどうとでも自分は崩れていく。

いい事を習慣にすると、いきなり世界が変わるのがおもしろい。
posted by イワキリエコ | 08:55 | くらしのこと | comments(4) | - |
蔵の響き
先週の土曜は
ザ・リトライズ結成ライブ。
蔵に入ると、あのまた独特の空気感。
ここでまたひさしぶりに!うれしい!

→こんな蔵

舞台を作ったり
受付の準備をしたり、やっと一息つくと
館長夫人の山田さんが運んでくださったのはお赤飯のおむすび。
えっ!と驚く我々に
「今日はほら、結成第一日でしょ?」とにっこり。
ギャラリーと竹林の間の風の吹く縁台でおいしいお茶とほっこり。
むむライブの前にこんなに満ち足りてしまったぞ。

館長さんに伺う運河のおはなし。
運河は120年前に作られて
その4年後にこの蔵が建てられたそうです。
(天保六年築、と前に書きましたが
 それは平左衛門さんの生年でした。謝)
運河が輸送路として栄えた頃も、氾濫したときも、
子どもたちが泳いでいた頃も、
利根川からの流れが来なくなってしまった今も
どっしりと見守っていたであろうこの蔵。

ちょうど当日、新聞発表があったのですが
周辺の三市で運河の水質をよくする動きが始まるらしい。
また人が集い、のびのびとくつろげる場所になりますように。
しかし「とにかくここでいい時間を過ごしてもらいたい!」という
おもてなしの気持ちが核にしっかりとあるこのギャラリーは
確実にその大事な拠点になっていくのでしょう。

さて、蔵には三方にちいさな角窓がありまして
季節には
一つの窓からは青々とした竹林が
一つの窓からはいっぱいの桜が
そしてもうひとつの窓からは真っ白の梅がちょうど見えるそうです。

昼と夜の間に
竹林の中で大の字になって横になりました。
写真家の森さんが
「海の底のようでどこにいるかわからなくなるでしょう」
そのとおり、竹の葉の中に空が白く切り取られてざわざわしました。
森さんは蔵研究家(?)でもあり
この蔵を竹やぶから救い出したキーマンでもあります。

ライブは、ゆったりとしみじみとなつかしく(激しく)進み
我々も大きな息で楽しくおしゃべりして歌わせていただきました。
なんだか、大きく見せようなんて気張りもなく
逆に縮こまることもなく
のびのびといられる自分が新鮮。

みなさん笑顔で
かつこさんも私も笑顔で
出待ちでひとりかつこさんのあったかい声を二階で聞きながら
目の前の誰も座っていない椅子に
もう会えない人の笑顔が重なって
ひとり泣き笑いです。

アコソロの一曲目は
この響きの場所で
どうしても光が降り注ぐように弾いてみたかったカヴァレリアから。

にぎやかにあふれるほど
たくさんの方が来てくださった昼の回。
ちょっと暑くなってしまってごめんなさい。

夜の回は、窓からの空の色が変わってくるにつれて
空気の重さみたいなものも変化していきます。
弾きながら気がついてうっとりしていました。

たくさんのアンケートと励ましとありがとうの言葉
ほんとうにありがとうございました。
(そうそう、新しいリトライザーも何人か出現か!?今後を乞うご期待!)

最後に俳句の大先輩が贈ってくださった句をふたつ。
(先輩、追加投句お待ちしております)

チャルダッシュ青嵐と化し終幕(秀輔)
夏夕べ蔵から聴こえるおくりもの(篤夫)


駄そ句
たましいの大笑いまた蔵に夏
posted by イワキリエコ | 19:24 | ステージ報告的な | comments(2) | - |
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