アコーディオン弾き 岩城里江子のブログです。
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大きな流れ
最近聞いた結婚式のスピーチ。
「人生もひとつの曲のようなもの、曲も人生のようなもの
 大きなひとつの息のようなもの
 吸って、吐いて」

昨日、ファイナンシャルプランナーのOさんが言った
「個別の株の値動きを追うのはきりがない
 それはほかに任せて
 僕はもっと大きな流れに興味を持つ」

音楽家のかたは口々に言う
「ステージはひとつのお話のようなものだから
 リハから曲順で弾くんですよ」

コンドルズはTVでこう言ってた
「構成はパズルのようなもの。組み合わせと順番で全然変わる」

というわけで、
今の私のテーマは「流れ」

昨日は映画を観た。
(そんなことやってる間に弾けよって感じだけど、
 まるっきり行き詰っております。)
無料チケットをもらった映画が観られなくて代わりに観た映画
「紀元前1万年」
『インデペンデンス・デイ』、『デイ・アフター・トゥモロー』の監督さんが作った
CGを駆使して作った壮大なファンタジー
いかにも夫の好み

うちよりさらに田舎の初めて行った映画館に、お客は20人くらい
(一昨日から封切りなのに・・・)
ばかでかいスクリーン、ゆったりとした椅子、
誰にも邪魔されないすばらしい環境。
映画は普段ただただ感じる、ということに没頭するわたしであるが、
今回に限っては、流れ、映画を流れるテンションやリズムの変化、そして湧いてくる自分の感情の動き、というものに注目して冷静に見てみた(嫌な客だな)

アメイズィィィィイイング〜!
ほーーーーーーーそういうことなんだ!!
いろんなものがくっきりと見えたのでございました。
情熱と冷静は両輪なんすね。

ちょっと尻切れですが、出かけるのでこのへんで。
またね。
posted by イワキリエコ | 08:55 | ステージ報告的な | comments(0) | - |
うむ。
自分で自分を追い詰めるってあんまり経験ないんだよなあ
いつも動機は外から来た
誰々が喜ぶから、はまだいい。
誰々が怒るから。
オイオイ。

昔金粉の岡庭さんに
「テンションのコントロール
 それは同じカンパニーで何十年も同じ師についてきてやっとできるもんだ
 ま、たまにそういうのがない若いもんでもできるやつはいるが
 それは才能というものだ」
と言われたことがあるが
さすがにもうこれから何十年もってのはね
何十年後にはアコ重くて持てなくなってるかもしれないし

師についてきてできるものだ、っていうのは
その師の視線や圧力が
自分の中にゆるぎなくもう一つできるということなんだろうか
悟空が頭にはめられた禁箍児のようなもの

しかし今なんでこんなにいつも音楽のこと考えているんだろ
朝目が覚めても 電車に乗っていても
ご飯を作っているときも
いつも纏わりついてくる
あああーー!ってたまにふりはらう。
わらっちゃうね
これは自分で自分を追い詰めてるってことなんだろうか
なるべくゆるく、労少なく、
らくに、たのしく、けっかおーらい
ずっとそれで来てたのにね
もう飽きたんかな

しかし、
飽きても突然変われるわけではないのがこれまたつらいとこ(笑)
posted by イワキリエコ | 08:20 | ステージ報告的な | comments(4) | - |
水になった村
神楽坂 経王寺で『水になった村』を観た
はるちゃんが前から絶賛してた映画
無番地通信

水になった村

ダムに沈んで今では地図からも視界からも消えてしまった
電気も水道もない小さな村のささやかでおおらかな最後の暮らし

ジジもババも明るくてたくましい
明るさがここで生きる条件
自然の中で生かされているという思いが
めんめんと繰り返されてきた体の動きに普通に見え隠れする
おばあちゃんはもうすぐ沈んでしまうせせらぎに
まだ小さな山葵をもう一度埋め戻した
なんだかその姿を見ているうちに涙が出た

私はやっぱり、その人の血となり肉となっている
繰り返されて身についた習慣を見つけるといとおしくなるんだなあ
声高な主張でなくても
その人自身も気がついていなくても
そこには明確なメッセージが隠れている

この人は血のつながったおばあちゃんではないけれど
私のおばあちゃんだなあと思った
いやそうじゃない、これはわたしだ、と思った。
何かを確かに受け継いだ
沈む前に100年前の家を取り壊すときには刺すような思いがこみ上げた

上映が終わって田口ランディさんと監督の大西さんの対談

そこに足を運んでだけ確かに伝わることがある
大西さんは何度この訪れづらい場所に通ったことだろう
それは彼の人生をどれだけ豊かにしたことだろう
大西さんの目はほんとに魅力的だった

ランディさんの講演
本を読むたびに既視感を感じる大好きな作家さん
森のイスキアで初女さんに「娘になりなさい」と言われた話が出た
次の朝、一緒にニンジンを切ったという
「ニンジンが痛くないようにそうっと剥いてね」って
何かの何気ない行為を通してうけとるもの
おんなじだ

「転じる」話もよい話だった。
じぶんも相手も状況はなにもかわっていなくても
ふと降ってきたような言葉が
確信をもってすべてOKにしてくれる魔法のはなし
見方がひとつ加わるだけで世界が「転じ」る



帰ってコンクリートを研究している夫
(実はこのダムにもちょっと関係があったらしい。
そういえばいつだか岐阜に出張に行っていた)が
ぼそりと「この映画観たかったな」と言った
今度は一緒に行ってみるかな。
posted by イワキリエコ | 09:33 | ふれたもの | comments(2) | - |
亜麻色の髪の乙女
カンボジアから帰って来てからなんでだか
レーシソ ミーソシ レーシソ ミーソシ ソーソミソー
というメロディが耳について離れなく
オペラのさちお嬢にこれなんだっけ、とメールしたら
亜麻色の髪の乙女よ、ドビュッシー。と教えてくれた。

ん?あるかも。ピアノピース。昔挫折した楽譜・・・
本棚をひっくり返し発見。
むむ。フラットさんが6つもあるやん〜
あー3段目で挫折したんだっけ。黄ばんでるけどきれいな楽譜。

弾いてみたけど、なぜか指が足りません。
で、娘のピアノの先生のところに駆け込んだ。

先生すごい。すらすら解決してくれる。
「これは一緒に押して」
「ここは左手」
「この指は離さないで〜」
しぇーーーーーーーーーーーーー。
指が足らん・・・・
「ここは弱く弾きたくなるけど、クレッシェンド」
指が言うことを聞かん
「もたれて流して」
心が言うことを聞かん
これも歳のせいである。きっとそうだ。

しかしぼろぼろではあるがなんとなく曲になってくる亜麻色の乙女ちゃん。
ドビュッシーは和音の連なりが美しくて
ただただ音を重ねているだけで落ち着くんである。
と言ったら、Mぽんが
「ドビュッシーは完全音程で、宇宙的な響きで、
自然の光のイメージや神秘的な気分に満ちているってさ。」
と教えてくれた。
なぬ。それはアンコールワットと一緒ではないか。
若き頃にガムランを聞いて衝撃を受けたというドビュッシーは
なにやらアジアのにおいがするんである。
中国音階の様でもあり
フランスっぽくなったり
わたしの好きなライン。

いい曲だなあ。

今日もまた先生のところに遊びに(笑)行っちゃったよ。
グランドピアノに先生と並んで。
20年以上ぶりのピアノレッスン。
楽しいなあ〜
なつかしくて、ほんとたのしい。

只今仕込み中。

posted by イワキリエコ | 23:59 | ステージ報告的な | comments(11) | - |
そういう歳
昨日会った友人が
電車で隣の席の赤ちゃんに
ちょんちょんとつつかれて
にこぉっと笑いかけられて
涙が止まらなくなって困ったという話をしてくれた
傍らには仲のよさそなカップル
まどからさんさんとお日さまの光


ささやかな たくさんの しあわせな 
あるいは たくさんの ふしあわせな 
ぼう大な記憶のかけらが
ほんの 今
めのまえに あつまって ふわあっとひろがる

シャッターチャンスは 瞬間 瞬間
あっというまにするりときえる
ちゃんと観てる?

きえていくものはなぜこんなに尊くていとしいの
きえていくからそうこんなにいとしいの

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posted by イワキリエコ | 08:09 | くらしのこと | comments(6) | - |
笙のコンサート
日曜夜、平左衛門で笙と篳篥(ひちりき)のコンサートがありました。
お蔵に竹でしつらえた屏風と燭台、
緋毛氈の敷かれたステージ、
どちらも女性の奏者です。

「笙(しょう)は鳳凰の形をしており天を、
空を舞う龍の鳴き声に例えられる横笛“龍笛”は空を、
篳篥は地(人)をそれぞれ表している。
この天、空、人の3者が合奏することで1つの宇宙を表す。」というところの天と地の楽器。

アコーディオンの起源になったという説もある、ということで、とても気になっていた笙。演奏でもよくこの音を笙風に使いますが、演者まで2m。はじめてこんなに間近で聞いたけど、同じ金属のフリーリードが使われているからか、ほんとにアコーディオンの高音とよく似ていました。

初めて聞く方も多いということで、さまざまな調子(音、コード?)の曲をダイジェストのように並べて演奏してくださいました。普段は、一つの演奏会では一つの調で統一することが多いそうです。
たとえば平調(ひょうじょう)の曲ならミラシレミファ(♯)、という音を使うということですね(にわか勉強でちがってたらすみません)

わたしがほーーっと思ったのは、曲の前に必ずその調の音取(ねとり)という短い何小節かの曲があり、それで楽器と会場の雰囲気を整えるそうです。
すごくわかる!
この頃、私も会場で音を出す前に、すうっと音を出すことをなんだか習慣のようにしていて、それで場も自分も整う感じがあったから。

息を吹き込んだ天と地の和音の連なり。
響きの連なり自体を味わう感じです。
「平安の貴族のトリップ音楽かも」と仰ってましたが
わたしは同時にバリアのようなものではなかったかなーと思いました。
音で作る結界。

調によって目の前に広がる季節がゆるやかにかわり
音で私たちの体はうねうねと動く。
ゆったりとした変拍子の曲もありました。
(ゆっくりすぎて、逆にわかんなくなりそう)
まっすぐ歩いていく篳篥と包んで広がっていく笙の音。
一歩外に出ると雨上がりの竹林がザワザワ。
うーん、完璧だ!


奏者の方に最後にご挨拶したら、ドイツかどっかで笙とアコーディオンのグループがあるそうで、一回遊びましょうよと盛り上がりました。
いつかできるといいなー!
posted by イワキリエコ | 09:23 | ステージ報告的な | comments(0) | - |
桜の散るころ
もう桜は終わりですね。
あたたかかった昨日、お昼近く、ひとりで車を運転してました。
FMでゴンチチのやさしい関西弁が「郷愁の音楽」を次々かけてました。

次にかかるのは村上ゆきさんの「そして僕は途方に暮れる」
銀色夏生さんが作詞、大沢誉志幸さんが曲をつけた歌。
学生の頃、よく聞いたなあ。彼の声、大好きだった。

ゆきさんは三味線デュオ「あんみ通」のご縁で
WUUで一度だけお目にかかったことがあります。
あまくゆったりとしたすてきな声のヴォーカリスト。
そういえば佐藤師匠が彼女のアルバムに参加したんじゃなかったっけかなと
ぼおっと聞いていました。

イントロでふわあっとアコがかぶった。
あ、アコーディオン。

信号待ち。

あれ、これ佐藤さん?
私が知ってる彼の音じゃないみたいだったけど
でもどこかでそうかもと思った。

風に乗ってふわりふわりと
フロントガラスを
どこかでまだ咲いていたらしい桜の花びらが追い越して
ゆったりした音と声
それはこの春でいちばんのさくらのある景色でした。


視聴こちらからできます。
村上ゆき 3rd ALBUM 「夢で逢いましょう」
アコはやっぱり佐藤さんでした。
posted by イワキリエコ | 08:37 | くらしのこと | comments(0) | - |
椿
ぽつぽつと雨の降る中、句会へ
でも部屋に鍵がかかっている
おかしいなあ

メールすると近くに住むきみこさんががあわてて出てきてくれた
「らくちゃん、おととい、おとといおわっちゃったわよ」
あらら、変更になってたの、勘違い。
今日友達に声かけてなくてよかったよ・・・
あいかわらずのおっちょこちょい。

玄関先で長話は止まらず、いつのまにか雨は降り止み、
いただいた新たまねぎでうれしく帰りました。
「あたりまえの句を作らないでおもしろい句を作りなさいね」
はい、がんばります。

帰り車を止めていた生垣に白椿。花びらはふわふわでピカピカ。

きらきらの雨粒


雨上がり今生まれたて白椿

posted by イワキリエコ | 08:17 | くらしのこと | comments(2) | - |
変容
気合をもうひとつ入れたい。

今度のコンサートでやる
「トランスミューティション」という曲。
あこがれのディノサルーシさまの名曲だ。
辞書で調べると
「変化、変容、錬金」とある

よおうし。

娘の書道道具を引っ張り出したのであった。
子どもの書初めで遊んだことはあったもののほぼ30年ぶりの筆である。
不恰好だが病むを得まい。

気合だよな!

何はともあれ形が大事形が大事
posted by イワキリエコ | 08:10 | ステージ報告的な | comments(0) | - |
へいざえもんにて
すっかりアップが遅くなりましたが
先日の平左衛門のさくら祭り。

一日みたぽんと遊びに行って
おじょうちゃんたちと「たけのこみつけた」即興ソング♪
♪んちゃんちゃんちゃんちゃ ピタッ
「あったーーー」
♪んちゃんちゃんちゃんちゃ ピタッ
「あったーーー」
かわいいねえ。おこちゃまは。

二日目はリトライズ大集合。っていうか私は終わった頃顔を出せただけなんだけど・・・

竹林でアコ弾いて
お茶をいただいて
出店を冷やかして
和小物買って

はりさしと着物時のどんぐり作家さん、すてきな方でした

お花を買って
たけのこ掘って〜

・・・楽しかったです。
アコ弾いて、はメインのはずだったのにただ遊んだだけでした。
ごめんなさい。

楽しすぎて画像録るの忘れちゃいました。

おまけ/
帰り運河の土手でいきなり土手を降りはじめた娘。
ちいさなむすめ

そういえばコイツはここに住んでたときにはまだいなかった。

運河べり到着。
もっとちいさなむすめ
posted by イワキリエコ | 08:02 | くらしのこと | comments(0) | - |
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