アコーディオン弾き 岩城里江子のブログです。
ライブ情報・プロフィールはリンクよりHP「らくん家」へどうぞおいでください。
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業務連絡。
どうも昨日から調子悪いなぁと思ってたんですが
今朝起きたら腰痛くて起き上がれず。

さっきちょっと調子よくなって歩けるようになってきたので、でっかい特大鍼受けてきました。
約束してる方も治り具合で予定変更していただくことあるかもしれませんが、よろしくお願いしますm(__)m

ああ、困った時の駆け込み寺大宮先生、今日もありがとうございました。
posted by イワキリエコ | 15:53 | くらしのこと | comments(7) | - |
流れ

いつもお世話になっているWuu
佐藤師匠が参加してるサル・ガヴォ(←音源・動画あり)のライブ。
あーんな変態アバンギャルドタンゴ(誉めてます)が、なんと柏で聴けるとは。



生サル(笑)は初めてなので友人たちを誘って出かけました。
ドラムレスのセッションなのにすんごいキレとリズムです。
アコもあたしとおんなじビクトリアなのに、何であんなに音がシャープなんだろか・・・
それぞれのテンションと、難度の高い演奏の自由自在感。
集中してるけど妙にクール。

濃すぎ。
ライブが終わったら心臓がバクバクしてました。
ビール一杯でふらふら回りました。

帰り師匠に、弾いている時は何を考えているのか聞くと
「流れを切らさないようにすること」と言っとられました。
難しいことはわからないけれども、
委ねるとこは手を離し、パズルのように自分を組み込み、あちこちに膨らませて
音の形と色と力の流れを超ツワモノ5人がかりで確信犯的に創るんだもんな。
そらおもしろいんだろうな〜
途中オーケストラがいる様な気がしたときだってあった。

「アコをソロで弾く難しさをみんなわかっちゃいない」とも言ってました。
・・・・おそろしや・・・おそろしやスミマセンまだぜんぜんわかってないみたいです。

今日はいちにち生サルにあてられてぼんやりでした。
わかんなくてくやしいから、CDずっと聞いてます。

posted by イワキリエコ | 23:09 | ステージ報告的な | comments(6) | - |
秋の信州へ

下の子の部活の休みにあわせて家族で信州白馬へ行ってきました。
遅い夏休みです。
急に決まったから、ほぼノープラン(ほぼ例年通り)。

長野インターで下りてふと善光寺。


善光寺のご本尊は日本最古の仏像なんですってね。
名だたる武将がこのご本尊を奪い合ったのでしょう。
暗い境内では、お戒壇めぐりの人たちが列を作っていました。
我々はパスして、撫で仏さんを撫でて外に出ました。

帰り参道で味噌アイスをいただきました。
くちびるに残る味噌の香り。かなり不思議に微妙。

そしてふと地図で発見し、行ってみたかった戸隠神社へ。

戸隠神社

立派な中社。

戸隠信仰は「岩戸開きの神事」にまつわる神々を
祭神として祀ってきた長い歴史があるそうで
中社は樹齢400年を越す杉の大木たちに頑丈に守られていました。

今回はさすがに奥社に登るのはあきらめて、
戸隠そばをいただいてから近くの火之御子社へ。

火之御子社

この神社は岩戸の前で舞った天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀った神社。
舞楽芸能の神様だそうです。
左奥の大きな杉の木がとても気持ちよかった。
天照大神も重い扉をあけたという太々神楽、一度見てみてみたいなー。


これが国道?と驚くほどにくねる山道を一路、白馬へ。

今日の宿は「古民家民宿」
築90年の立派な藁葺の民家。
泊り客は我々だけで、とてつもなく家庭的なおもてなし。
実家以上に実家風。
囲炉裏端で火をくべながら、おじいさんの昔語りをずっと聞いていました。




囲炉裏



かつて手回しだった公衆電話(現在はプッシュ)



すすで黒く光る壁と雨交じりの曇り空のコントラストが美しかったです。



7月8月の雨続きで虫が出なかった今年、稲穂の金色はひときわ美しいらしい。



冬には真っ白な雪で覆われるそうです。
朝早く目が醒めて、小雨の音を聴きながら雪の日を想像しました。
高い天井を見ながら、ここで繰り返されてきた暮らしを思いました。

何度もここでたくさんのひとが唱えた言葉が
この家の天井に壁に床に
いろりのすすのように沁みこんでいる。

「いってきます」「いってらっしゃい」
「ただいま」「おかえり」
「いただきます」「ごちそうさま」
「おはようございます」「おやすみなさい」
「こんにちは」
「さようなら」

ひょいとやさしいメロディが浮かんできたので、
頭の中でなんどもくりかえしてみてまだ消えなかったので
携帯のボイスメモにすかさず吹き込んでみた(ちゃっかり)

しかし、びっくりです。
寝ていた部屋の障子を開けるとすぐ雨戸(ガラス無し)。
冬はそりゃあ寒いんだろうなあー。

ちょうど村祭りの日だったので
出発前、子供神輿の笛の音が聞こえてきました。
仲よくなったおじいさんとおばあさんとお別れして
業界夫のたっての希望により黒部ダムへ。

扇沢駅からは車は入れないので、電気で走るトロリーバスに乗ります。
後立山連峰の地下深くを通る狭いトンネルには
「破砕帯」を示すライトがついていたりして、臨場感たっぷり。
アップダウンも多くドキドキ。
なにかあったらひとたまりもない我々の小ささ。
そして、黒部ダム駅で階段を220上って見下ろしたダムの説得力。






またもやそばを食べ、
ダムと古民家の説得力に力負けした我々は早めに帰路に着きました。

posted by イワキリエコ | 23:07 | 曲についてのこと | comments(16) | - |
抱腹絶倒。

なんかどーーーんよりしているこのとこのわたし。
とある動画を教えていただきました。
何はともあれ、ぜひぜひ見てーー。

とある動画。

posted by イワキリエコ | 14:29 | くらしのこと | comments(9) | - |
過去と向き合う

朗読とアコのユニット「楽香(らっきょ)」の相方、きょうちゃん
10年以上前、がんで闘病していました。
アコをはじめたばかりの私、当時子育てや仕事やサークル活動でめいっぱいで
出会ってから20年間のうち、彼女と一番疎遠になっていた時期でした。

ちっとも病気のこと、知らなかった。
いえ、入院した、っていうのはちらりと聞いたことあったのです。
でも大したことはないと言っていたし、彼女は病名は堅く伏せていたので
その病名ががんだなんてまったく想像外でした。
いつもおひさまのように、元気に仕事仲間を盛り上げ励ましていた姿と
その深刻な病名がどうしても結びつかなかったのです。

再発して二度目の手術・退院から1年経たない頃、
もらった年賀状に久しぶりに会いたい、と書いていたのがうれしくて
恵比寿の映画館に誘って彼女と何年かぶりに再会しました。
そのとき初めて、さらりと彼女が病名を口にしました。
その、衝撃。
え、と聞き返してしばらく動けなかった。
確かに少し顔色は悪かったけど、
そこにいるきょうちゃんは相変らずあたたかくて
「でももう大丈夫だよ。髪もかつらじゃないよ」とニコっと笑った。

あとで、あの時が初めて病気のことを言えた時だよ、と聞きました。
どんなに言い出すの、怖かったんだろう。
どんなふうに私の態度が変わるか、ドキドキしてたんだろう。
まだまだごく間近で病気の恐怖と向き合ってたんだろう。
わからなかった。

とにかく彼女はその年、
ひょんなことから入った劇団でひさしぶりの舞台を踏み、ナレーターの仕事も再開。
誘ってもらって一緒に「ハンドベル」でステージ舞台に出たこともあったっけ。

わたしもいろんなものに彼女を引っ張り出した。
まだ体力も充分回復してなかっただろうに。知らぬことはおそろしい。
上京してきたばかりのえっちゃんや坂本さんに引き合わせたり、
その年の暮れに、版画家大野さんが企画した「らくちん展」に誘ったり。
「なんにも描ける自信がない」っていってたきょうちゃんだけど
一歩展の全員分のハレパネを作ってくれました。

日本橋の小さなギャラリーには、
プロでやっている人の作品に混じって
誰かがはじめて作った瑞々しい作品がたくさん。
私もSarasaの初めてのミニライブをやりました。
失敗したら、外で練習してやり直したりして、こちらも初々しいライブでした。
その中で、突然仁王立ちになった彼女が
「わたしも表現したい。来年はもっとやる!」と宣言した姿をよく覚えています。

ちょっと時間はかかったけど、何年かかけて楽香ができました。
やりたいことをすぐ形にできるささやかで小さなユニット。
一緒に時間を過ごす中で、私もずいぶんこの病気のことを知るようになりました。
もう再発から10年以上たって、とてつもなく元気になった今だって
体の調子が悪いと、まだ恐ろしくなることも実感としてわかる気がします。

いつも彼女は言います。
「生き残ったからよかった、とかそういうことじゃないの。
 誰でもふつうの毎日を大事にして、目いっぱい生きなきゃ」


さて、今年の8月、いろいろなことが重なったらしく
きょうちゃんが当時の闘病のことをブログに書き始めました。
このブログは、今まさに闘っている誰かとその回りの人たちに
「今は私もこんなに元気。だから信じて負けないで」というメッセージ。
でも、日記をまた読み返して、昔の自分に向き合うのはほんとにキツそうです。
心は揺れるし、体調までおかしくなることもあるそう。
もう過ぎたつらいことは、誰だって忘れたい。
でも、経験したその人でなければ伝えられないこともある。

彼女のブログ「秘密基地」、もっとみなさんに読んでもらいたいです。
今苦しんでいる人がいたら、ぜひ紹介していただければうれしいです。
深刻になりすぎない、やさしい絵日記です。

命は儚い、でもだから大切でいとおしい。
人は人の間で、生きている。
そんなことをいつも読みながら思います。

ここからも飛びます↓
「秘密基地」http://plaza.rakuten.co.jp/kyonirufu

posted by イワキリエコ | 08:22 | くらしのこと | comments(8) | - |
shozoで町おこし

日曜はあんまり天気がよかったもんだから
急遽思い立って夫婦で黒磯へドライブ
夏に行けなかった母方のお墓参りも兼ねてでかけました

常磐道から北関東自動車道へ抜けると
ぽっかり秋の空は広く高く
関東のここにもパッチワークみたいな黄色い田んぼ
なだらかな山間の町を混雑もなくすいすい



お墓参りのあと、行ってみたかったcafe shozo
(アンティークのお店にアコを見かけたという情報もあり・・・)

cafeの一階にはちいさなギャラリーとスペースがあって
「ホノカアボーイ」の音楽の阿部海太郎さんのアコを抱えるポスター
ここで何かライブやったのかな?
気持ちよさそうだなあ

cafeにはたくさんの本があって
ピザトーストとコーヒーがおいしかった
高輪のパトリスさんのもうなくなってしまったお店をおもいだしました
どこもかしこもきちんと喜んで選んだものだけのお店
この場所を作ることそのものがしあわせそうなスタッフさん

しかし、古いアパートの二階でcafeを始め
いまやいい感じにひなびた黒磯駅前の道沿いに
点々とcafe、雑貨や洋服、アンティーク、インテリアの5.6店舗
ここ目当てらしいお客さんが途切れない

究極の町おこしは、その町にほれ込んだ憧れの人生を提案できるリーダーを
町々に配置することではなかろうか

お目当てのアコも発見。これかな?



黒鍵が細くて長くてかわいいの。
残念ながらもう売約済み
こんなちいさなアコを持って旅ができたらいいのになー

のんびり過ごしてから
近くのアウトレットでスニーカーを買って
渋滞する高速を避け、暗くなった田舎道を帰りました。

posted by イワキリエコ | 08:09 | くらしのこと | comments(4) | - |
フォーカス
土曜は、新宿の朝日カルチャーへ
松浦範子『国なき民・クルド人の暮らし』講演を聞きに行った。
見知った顔を何人か会場に見つける。
年配の方も多い。

たくさんのクルド人の土地の写真が紹介され
彼らの日常が浮かび上がっていく。
やはり我々から中東は遠い。
遠いけれども、別なものではない。
声や音が、聞こえてくるよう。
そしてどうしてこの場所と深い縁を持つことにになったかの話をきっかけに、
現在のクルディスタンの状況などに話が移った。
声のテンションは一段上がり、釣り込まれるようにさらに熱心に聞く聴講者たち。
最後の質疑応答では、非常に質の高い質問が次々飛んだ。
のりちゃんは問いに正確にフォーカスし、的確に充分に応える。

(あー、このあいだの大人インタビューと同じだ!)
どんな相手にも誠実に向かい合い、伝えるべきことを充分に伝える
だから、お互い、深く満足する。
このあいだの大人インタビューでも、
一つの答えに足りない部分を後で思い出した彼女は
「こういったけれども、これは違っていた。申し訳ないが訂正してもらえないか?」
という丁寧なメールを後日次女に送ってくれた。
次女はその姿勢そのものに非常にびっくりしていた。
この驚きこそが教育だと思った。

私は、この人の真骨頂は、やっぱりこれだと思うのです。

相手を尊重し、心研ぎ澄ました人のやりとり。
そのフォーカスの合わせ方。

だから、何十年も口を閉ざしていた詩人は彼女に向かって重たい口を開き
名もない普通の人々は、身の安全を犯してまで彼女を守ったんだ、と
誇らしく、とてもうれしかった。

また渡航の予定もあるようです。
気をつけて。
心から、祈ります。
posted by イワキリエコ | 07:37 | くらしのこと | comments(6) | - |
いまだ興奮中・・・



昨夜の事思い返してぼんやりしています。
すばらしい夜でした。

ルー・タバキンさんのフロントアクトで4曲弾かせてもらいました。

めざめ(オリジナル)
哀愁のミュゼット
ムーンリバー
メコンリバー(オリジナル)
※リバーつながり笑

とにかく、心を開いて大きくのびのび弾こうと思いました。
途中から月の夜を一艘の船で一緒にゆられているような安心感がやってきて、それは本当に気持ちがよくて。
私が音を出しているんだけど、出させてもらっている感じでした。
あちこちにぽわんとやさしい灯りが点っている感じ。

やっとほっとして客席で聞くルーさんたちの音は相変らず力強く熱く自由で、でも心の中はいつも深く静かなのがわかる。

一部と二部の間の休憩で、MCの児山先生が悪魔(天使?)のささやき。
「アンコール、ルーと一緒にやってみなさい。何弾ける?」

青天の霹靂。

「いやー先生、わたしジャズバンドのジャムセッションなんてやったことないですし。」相手ルーさんだし。

「大丈夫、大丈夫、むずかしいことはしなくてもメロディをちょっと膨らませて弾けばいいから。それとメンバーをよく見ればやることは自然にわかるから」

「いや」もごもごもごもご

「枯葉は大丈夫?」

「ああ、弾いたことは・・・」

「じゃあ、それで」

テンパる私に、聞きに来てくれたみたぽんのりちゃんが一喝。
「やれ」

キーは何?と聞かれても、ようわかりません。
しかし呼ばれなぜか楽器を抱えてステージに上がってるわたし。
イントロを弾いて、テーマでベースのボーリスさんが入ってくれて、ルーさんのサックスが絡んで、マークさんのドラムが刻んで。
アドリブがやってきて、ああ、そうか、黒川さんとやってたこととおんなじだ、ってやっと気がつき。
至福の時間。

生まれて初めて参加した豪華絢爛ジャズバンドセッション。

お客さんのあったかい応援拍手がすんごくうれしかったです。
ルーさんが頭を撫でて、おでこにキスしてくれました。

そのあと行った打上げではルーさんの葉巻をちょびっと吸わせてもらいました。
これまた生まれて初めてで。
昨日は記念すべき初体験がふたつもできました。

ルーさん「2-5-1の全部のキーを練習しておきなさいね(超基本)。もっとジャズのCDを聴きなさい。来年もやろうね」(・・・まじですか)
最後にみんなとハグハグして別れました。

そして、一番うれしかったのは、ずっとお世話になっている岡本さんと児山先生、それからwuuのみなさんが「成長したね」とニコニコと喜んでくださったことでした。
いろんな方が少しずつ手を貸してくれて今ここにいられることに心から感謝します。

私もっと大きくなりたい。
たのしんで、すすみたい。


☆玉井さん ☆fuRuさん ☆みたぽんがブログに書いてくださいました。
ありがとうごさいます☆
posted by イワキリエコ | 16:49 | 曲についてのこと | comments(14) | - |
さわやかな

秋晴れの中
土曜は下の娘の体育祭
そして日曜は上の娘の文化祭
・・・の予定でしたが
日曜、上の娘の学校はインフルで学年閉鎖。
ご多分に漏れず昼ごろから8度を越える熱を出したので
夕方休日診療をやっている病院へ行きました。

・・・すごいですね。
病院の入り口の前に(外側)テーブルが並べられ、簡単な問診をした後
いきなりインフル検査。鼻に綿棒のようなものを突っ込むあれです。
「15分後結果を聞きに来てください。それまではお車でおまちくださいね。」

病院の中に入れません(笑)
その検査を受けるだけでも付き添いもみな要マスクです。
15分木陰の車の中で待機して、結果を聞きに行くととりあえず陰性だったので
やっと正面玄関から入れてもらえました。
(陽性だと、裏のインフル用入り口から入場です。)

どきどきです。
熱さましの薬をいただいて帰りました。

しかし、医療関係者、みんな凛として、てきぱきと対応してくださり
とても短い時間で診察終了。
頭が下がりました。
プロの仕事でした。

マスク母の渾身の手もみマッサージなどをたまに施され
娘は熱とともに、いつもよりなんとなくゆったりして時間をすごしています。

ゆっくりと時間がすぎていきますー。





posted by イワキリエコ | 10:12 | くらしのこと | comments(6) | - |
中年の危機
いやあ、確かにアラフォーなんてカタカナでごまかそうがなんだろうが
やっぱり紛れもなく中年期真っ最中。

みたぽんが前回の日記のコメントで
今の私の状態は「中年の危機」かも、と教えてくれたURLの記事をよーく読みました。


 
ユングは、中年の危機を、成長の一局面として積極的に評価した。しかし実際には危険な生まれ直しに近い。その後の人生がどうなるかわからないのに暗闇に生み出されるのである。 
中年の危機
エッセンシャル・ユングを読み直している。
ユングは、40歳前後に多くの人が「社会的な目標というものが人格の縮小という犠牲を払うことによってのみ達成される、という本質的な事実を見逃してしまう」ことがある可能性を指摘する。これをそのままにしておくと、50歳前後にやがてそれが狂信となってしまう時期が訪れることがある、という。
この「人格」という言葉は注意深く捉える必要がある。これは必ずしも社会的に立派な人ということを意味しない。人は社会生活を円滑に行なうためにある種の仮面を身につけている。それはペルソナと呼ばれる。外面(そとづら)と呼んでも良い。このペルソナがその人そのものと同一であればよいのだが、たいていの場合そうはいかない。中年期に入ると、そのずれが顕著になる。ずれに気がつかないまま過ごすと、取り返しのつかないことになる可能性があるだろうというわけだ。
ユングは、多くの治療体験に自らの体験を加えてこの結論に達する。38歳の時に自らの信じる道を行くために、フロイトと決別した。同時にアカデミズムとも遠ざかり、引きこもりの期間に多くのものを失うことになる。しかし、これが心理学の「ユング派」の源流として開花する。
本の中に45歳のビジネスマンの事例が出てくる。彼は立派な業績を残して引退した。しかし隠居生活に入った時から精神的な苦痛を感じだした。やがてビジネスの世界に戻るのだが、仕事への情熱は戻ってこなかった。精神病の治療というと、元の状態に戻ることを意味しそうなものだが、この人の場合はそうではなかった。それでは、一体それは何なのか。ここにユングの転回がある。この危機的な状況を「発展の一種である場合もある」と捉え直したのだ。こういう一節がある。
それは、意識が異常な段階にまで高揚し、そのため無意識から大きく離れすぎてしまった場合にのみ有効である。[中略] このような発展の道を歩むのは、人生の半ば(普通は35歳から40歳くらいの間)より前ではほとんど意味がない。もし、あまりに早く踏み出したとすると、決定的な害を被ることもある。
ユング派、これを過大成長と名付け、意識の新しい水準であると結論づけた。別の箇所では治療が終わり「創造的可能性」を発展させるとも記述する。創造性を扱った人は多くいるのだが、崩壊や危機に見える状態が創造の萌芽だと考えるひとはそう多くないかもしれない。
この向かう先が「個性化」である。
個性化という用語を、それによって人が心理学的な意味での「個人」になる過程、すなわち単独で、それ以上には分割し得ない統一体、あるいは全体になる過程を意味するために使用する。
ここで、この言葉を鵜呑みにすることを避けると次のような疑問が浮かんでくる。
?そもそも、人は生きる意思や目標を自明のものとして持っているのだろうか。
?果たして、人間は一律に個性化を目指すべきなのか。社会的に適応している状態の方が幸せなのではないか。
?それはあらゆる対価を払っても価値のある目標なのだろうか。
まだ若い状態から「生きる意味がわからない」と言っている人たちがいる以上、これらの疑問は注意深く取り扱われるべきだろう。また、ペルソナと折り合いをつけながら、だましだまし死を迎えるという生き方もあるはずである。(それが、テレビの前で「昔は良かった。今の若い奴らは…」という姿勢であったとしても、だ。)ただ、やむにやまれず、個性化の過程に向かう人もいるはずだ。それには「治療」や「原状回復」以上の何かがある。
この個性化の過程は「夜の航海」とも例えられる。指標になるものがなく、どれくらいかかるか、どこに向かうかもわからないからだ。それは喜ばしいものではなく、ひどいときには精神的な危機として表出する場合も多い。人が生まれるときに生命の危険があるのと同じように、苦しみの多い「生まれ直し」であるともいえるだろう。
この「夜の航海」が、社会全体にとってどう有益なのかはわからないのだが、人によってはこの道を通らざるを得ない。「やむにやまれぬ」という言葉で言いたかったのは、そういうことである。
posted by イワキリエコ | 08:47 | くらしのこと | comments(0) | - |
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